Masuk……暗い。
いや、暗いなんてもんじゃない。何も見えないし、何も感じない。ただ、思考だけがぽつんと宙に浮いているような、不気味な感覚。 目を開けているのか閉じているのか、それすらも分からない。 というか、そもそも――俺、生きてんのか? 意識はある。けど体の感覚はゼロだ。手も足も、どこにも存在している気配がない。あるのはただ、やけにクリアな思考だけ。 ……最後に覚えているのは、あのアパート。床が崩れて、天井が落ちてきて―― そうだ、俺は死んだ。 ってことは、ここは死後の世界ってやつか? ……いや、でも、それにしちゃ意識がやけにハッキリしすぎてる。 もっとこう、ふわふわしてるとか、人生を走馬灯で振り返ってるとか……そういうのじゃないの? 疑問が渦を巻く中、それを遮るように、不意に“それ”はやってきた。 《システムの最適化を開始します――魔王チュートリアルへの移行を確認》 ……は? 声が、聞こえた。それも、耳じゃなくて脳に直接響いてくる感じ。人工音声っぽい機械的な女の声。冷たいけど、不思議と不快じゃない。 てか今、“魔王”って言ったよな? おい、ちょっと待て。 思わず思考の中で声を上げる。 誰かがふざけてるのか? いや、そもそも俺には声すら出せない。ただ「思ったこと」がそのまま響いてるだけだ。 頭の中で、じわじわと最後の光景が蘇る。 あの瞬間――地震、崩壊する部屋、そして……確か、何かに飲み込まれるような感覚の直後に、こう聞こえた。 《――魔王が誕生しました》 ……え、魔王って俺なの? 戸惑いと困惑と、ちょっとした諦めがないまぜになる。 その時だった。 《初期認証完了。あなたは、“魔王”として確定されました》 まただ。今度は、さっきよりも少しだけ柔らかい音声。さっきまでの無機質なナビゲーターとは違って、少しだけ人間味のある――まるで、誰かが心を込めて話しかけてくるような声だった。 《ようこそ、ヴァルト・ノクス。世界に選ばれし“魔王”よ》 ……誰だよ。 “ヴァルト・ノクス”。……なんだその中二ネーム。いや、悪くない。むしろ、ちょっと格好いいかも。 気がつけば、なぜかその名前が、自分の中にすとんと落ちる感覚がした。 黒川 陣、三十代、社畜エンジニア。終わりは情けなく、始まりも意味不明。 だけど今、この真っ暗な場所で――俺は確かに、“ヴァルト・ノクス”という名前を授かった。 《これより、魔王としてのチュートリアルを開始します》 次の瞬間、世界がぶち抜かれたような眩しさに襲われた。 視界が一気に広がる。真っ暗だった空間に、やけに精密な地形が広がっていた。洞窟? いや、どこか人工的な――そう、ゲームで見たようなダンジョンの構造だ。 岩盤に囲まれた薄暗い空間。その中心に――なぜか、自分が“存在”している感覚がある。 ……あれ、ちょっと待て。これってまさか――。 ふと視線を下げようとして、気づいた。 視線を動かせない。正確には、“そこ”から動けない。 俺の意識が固定されている。 視点が動かない。体がない。けど、喋れる。 唯一感じ取れるのは、自分の“核”としての存在感。周囲の空気の揺らぎと、微かに反響するダンジョン内の魔力の流れ。 そして、直感的に理解する。 ――俺、しゃべる石ころになってない? うそだろ!? 魔王って、もっとこう……角生えてたり、マント翻してたり、そういう見た目じゃないのかよ!? 《安心してください。あなたは“核”です。これは魔王としての第一段階に過ぎません》 第一段階って、これより下があるのかよ…… 《これより、核の能力を解放し、眷属を生み出すチュートリアルに移行します》 待て、まだ気持ちの整理が―― 俺の抗議を無視して、世界の声は静かに告げた。 《さあ、“魔王”としての一歩を、踏み出してください》 理不尽だ。意味不明だ。……だけど――なんか、ちょっとワクワクしてる俺がいるのがムカつく。 お? なんだ、この内から溢れる暖かい感じ……。 そう思った瞬間、俺の“核”に、異様な魔力が満ち始めた――。――真っ暗な意識の中、声が響いた。『“システム上”あるとはいえ、まさかランクアップを願うとは思いませんでしたよ。魔王ヴァルト・ノクス――いえ、黒川 陣』 ……この声、どこかで。 どこで聞いたんだっけ――。 あ。そうだ。 これは――世界の声だ。 その響きに引き寄せられるように、ぼやけていた意識が澄み渡っていく。 やがて視界がひらけ、そこに広がっていたのは、何もない真っ白な空間だった。 果てしなく続く光の中、その先に一人の女性が佇んでいる。 白い布で身を包みつつも、その布では隠しきれないほどの美しい肉体。 全身から漂う神々しさが、ただ立っているだけで圧倒的な存在感を生み出していた。「……あなたは」 思わず言葉を漏らす俺に、彼女は凛とした表情を向ける。「私は“世界の声”の主。貴方たちの言葉で言えば――女神、といったところでしょうか」 澄み切った声は耳にすっと入り込み、胸を震わせる。「――何故、ランクアップをしたいと願うのです? 貴方は既に存在し得る者としては最上位。命をかけてまで、何になろうというのです」 何になる、だと? ……そんなのわかんねぇよ。 ただ――。 俺は、自由に生きたいだけだ。 俺を慕ってくれる仲間達と、平和に笑って過ごしたいだけなんだ。 理不尽に奪われるのも、無力に嘆くしかできない自分自身も―― 愛した人ひとりすら守れなかった現実も―― 全部、クソ喰らえだッ! その全てをぶっ壊し、捻じ曲げてでも、ただ自分の理想の平和を手に入れる。 そのための力が、どうしても欲しい。 少しの沈黙のあと、胸の奥からあふれた感情のままに言葉を吐いた。「俺は――神になりたい」 なんの曇りもない言葉だった。 女神を真っ直ぐに見据え、
「――美月っ!! リアぁッ!!」 咄嗟に声が喉を裂いた。 鋭く尖った触手が二人を貫き、そのまま本体へと引きずり込もうと蠢く。 俺は考えるよりも早く、剣を振り抜いていた。 金属が擦れるような甲高い音と共に、触手が両断される。 黒い液体が飛び散り、焼けるような臭いが辺りに立ちこめた。 倒れかけた二人を抱き留め、すぐさま後方へ跳ぶ。 背後では切り落とした触手がのたうち、石床をえぐっていた。「……くっ……」 リルベアの身体からはまだ血が流れていたが、徐々に傷口が塞がっていく。 再生の速度は遅いが、意識ははっきりしている。 だが、美月は――。「美月! おい、美月ッ! 返事をしろ!」 声をかけても、彼女の瞳は焦点を結ばない。 胸を貫かれた傷口からは血があふれ、衣服を真紅に染めていく。 勇者の力を持っていても、彼女は結局ただの人間だ。 俺たちのような異形の再生もなければ、魔王の因子もない。 生身の人間は、脆い。 その現実が、皮肉のように突き刺さる。「嘘だろ……おい……!」 何度も肩を揺さぶる。 けれど、返事はなく、ただ虚ろな瞳が宙を彷徨うだけ。「っく……ヴァルト」 リルベアの声が、痛々しいほど静かに響く。「美月は、もう……」「やめろ!」 首を横に振る。耳を塞ぎたかった。 ありえない。こんな結末があっていいはずがない。 心の中で同じ言葉を何度も繰り返す。 だが現実は、残酷に俺の腕の中に横たわっていた。「っ!」 気づけば、視界が滲んでいた。 熱いものが頬を伝い落ちていく。 ――俺は、ずっと気付かないふりをしてきた。 出会ってそんなに日は経っていないかもしれない。 それでも、それな
悪食は蠢きながら進行を続けていた。 黒い泥のような肉体が脈動し、ぬるりと形を変えながら触手を伸ばす。 一本一本が生き物のように蠢き、獲物を探る蛇の舌のように空気を舐めていた。 その触手に絡め取られた魔物たちは、悲鳴を上げる間もなく崩れていく。 牙を剥いた狼も、鋼鱗を纏った竜の幼体も、翼を広げた怪鳥も――例外なく一瞬で溶け落ち、形を失った。 骨も肉も魔力も、ただの液体へと変わり、どろりと悪食の本体へ吸い込まれていく。 魔物たちの断末魔が重なり、耳にこびりつく。「……魔物を……食べてる……?」 美月が、信じられないものを見たように、かすれた声で呟いた。 彼女の瞳は恐怖と嫌悪に震えている。「そうじゃ」 リルベアが低く答える。 その声音には皮肉も余裕もなく、ただ冷徹な響きだけがあった。「喰らうことでその者の力を奪い、吸収して進化する。それが――悪食じゃ」 言葉を聞いた美月は硬直し、白い喉がこくりと上下する。 唾を飲み込む音がやけに大きく、緊張を際立たせた。 俺は奥歯を噛み締め、額に滲む汗を拭うこともできずに口を開いた。「……本気でやりあったとして、俺達に勝機はあるか?」 答えを聞きたくはなかった。 だが、聞かずにはいられなかった。 そして返ってきたのは――期待を粉々に砕く、あまりにも冷たい言葉。「ないな」 リルベアの瞳が、曇りなく俺を見据えていた。「あやつは既に多くの魔物を吸収し始めておる。その中には……クゼスや、男勇者も入っておるじゃろう。絶対に勝てん」 短く、断言された。 その一言は心臓を素手で掴まれたかのように重く、呼吸が止まりそうになった。 沈黙が三人の間に広がる。 重苦しく、逃げ場のない空気。 やがてリルベアがその沈黙を切り
魔素が収縮を始めた。 赤黒い霧が渦を巻き、空間の中心へと集束していく。 その密度はもはや大気ではない。鉄の塊を肺に押し込まれるような重苦しさに、呼吸一つが難しい。 パキン、と乾いた音。 フロアの空間そのものに、蜘蛛の巣状の亀裂が走った。 黒い線が四方に伸び、床も壁も天井もひび割れた鏡のように歪む。「なんなんだ、あれ……!」 思わず声が漏れた。 これはただの魔法や結界の崩壊ではない。世界そのものが割れ、外側にある何かが押し寄せてきている。 美月は青ざめた顔で剣を握りしめ、肩を震わせている。 彼女の光の剣すら、濁った空気の中で輝きを弱めていた。「始まりよったか……」 リルベアの声が静かに響いた。 いつもの皮肉も余裕もない、緊張を帯びた声音。 黄色の瞳に強い決意の光が宿る。「ヴァルトよ、悪いが――ダンジョンを作り変えるぞ」「はぁ!? 今そんな――」 驚愕する俺をよそに、リルベアは即座にモニターへと手を伸ばした。 指先が走り、無数の符号と魔術式が空間に浮かび上がる。「っ……揺れるッ!」 美月が小さく悲鳴を上げ、よろめいた。 直後、ダンジョン全体が大きく震えた。轟音と共に床が波打ち、壁がせり上がる。 フロアは裂け、視界がぐにゃりと歪む。 次の瞬間――目の前に広がったのは、見渡す限りの超巨大空間だった。 天井は高すぎて霞み、壁は遥か彼方。 まるで別世界を丸ごと切り取ったかのような光景に、息が詰まる。「美月、大丈夫か!?」 彼女の腕を掴んで支えながら、俺は叫んだ。「リア、一体何をやったんだ!?」 リルベアは一度だけ振り返り、冷ややかに答える。「ダンジョン内の下等生物どもを強制的に外へ排出し、五階層までの空間を一つに集約したのじゃ」「なっ……!? なんでそんなこ
クゼスの胸を貫いた青黒い閃光がようやく収まり、フロアを覆っていた重苦しい気配が静まっていく。 満身創痍のクゼスの身体から、黒い靄が立ちのぼる。 それは煙ではない。肉体そのものが崩れ落ち、灰になっていく。「……ク、ククク……まさか……本当に……殺られるとは……思いませんでしたよ」 声は掠れ、血と灰にまみれていた。 黒翼がひび割れ、床に崩れ落ちる。折れた翼の破片が硬い石床に散らばり、カラカラと乾いた音を響かせる。 ヴァルトは息を荒げながら剣を構え直す。 額から滴る汗が血と混じり、視界を曇らせる。 美月も、リルベアも、誰もがその様を息を飲んで見つめていた。 だが――クゼスの瞳だけは、まだ死んではいなかった。「しかし……私はしつこい魔王なんでね。……ただで殺られるつもりは……ないですよ」 口元に不気味な笑みを浮かべ、虚ろな瞳のままこちらを睨み据える。 灰になって崩れ落ちながらも、なお力を宿すその様子は、まさしく執念の化身。 その執着の矛先は、やはりリルベアだった。「――さぁ、皆さん」 声が低く響き渡る。まるで冥府の底から這い出した亡霊のように。「仲良く……地獄観光と行きましょうか」 次の瞬間、クゼスは指先をひねるようにして魔力を解き放った。 空間そのものが悲鳴をあげ、頭上から無数の魔石がばら撒かれる。 きらめく光の粒は、まるで夜空を逆さにしたかのように散らばり、空気を満たしていく。 だが美しさはほんの一瞬。すぐに黒く濁り、不気味な禍々しさを帯びていった。「な……にを――?」 ヴァルトが息を呑む。直感で理解した。これは“ただの魔法”ではない。「まずい! ヴァルトッ! あやつを止めよッ!」 リルベアが叫んだ。その声は今までにないほど切迫していた。 普段の余裕も皮肉も欠片もなく、ただ焦
重苦しい沈黙が、ほんの一瞬だけフロアを満たした。 黒い靄が渦を巻き、地面から立ち上る魔力が次の攻撃の予兆を告げている。 ヴァルトは剣を握りしめると、美月とリルベアの肩に手を置き、低く囁いた。「……作戦はこうだ」 二人の瞳が大きく見開かれる。「なるほど……!」 美月が思わず声を漏らし、リルベアは一拍遅れて口元に笑みを浮かべた。「ふん……本当に一か八かじゃな。失敗は許されんぞ」「ああ、分かってる。この作戦は美月が鍵だ。頼めるか?」 ヴァルトの問いに、美月は震える手を強く握り直し、力強く頷いた。「確実に決めます!」 剣が光を帯び、三人は再び構え直した。 その瞬間、クゼスの背後で黒翼が大きく広がる。「何を考えているのか知りませんが――無駄ですよ」 狂気じみた笑みと共に、クゼスの魔力が一気に膨張する。 地面がひび割れ、フロア全体が震える。「これで終わりですっ!」 咆哮と共に、魔力の奔流が形を取り始める。 黒い靄が絡み合い、無数の大蛇へと姿を変えた。 次の瞬間、闇色の大蛇が一斉に牙を剥き、フロア全体を覆い尽くす。 そのうねりは、逃げ場など存在しないと言わんばかりだった。「来るぞッ!」 ヴァルトが叫び、全員が一斉に跳躍する――だが、その瞬間だった。 ピン、と指を弾く乾いた音が響く。 青黒い閃光が空間を裂き、奔る稲妻のように大蛇の群れを薙ぎ払った。 轟音と共に光が弾け、フロア全体が青白く照らし出される。「っ……!?」 クゼスが一瞬驚愕に目を見開く。 しかし、すぐに表情を歪め、反撃の魔法を発動した。「危ない危ない……魔族でありながら、あなたのその技は聖属性を含んでますからねぇ」 不気味に笑いながら、クゼスは剣を振り抜いて閃光を相殺する。 視線の先
眷属召喚――それは、魔王が初めて行う“配下作成”チュートリアルらしい。 核としての魔力が満ちきったタイミングで、世界の声が言った。 《それでは、眷属召喚を開始してください。意識を集中し、あなたの魔力を流し込むように》 いや、ざっくりすぎだろ。集中って言われても、こちとら石ころなんだぞ。 とはいえ、やるしかない。ぐっと意識を内側へ集中させていくと―― ――ドクン。 何かが“脈打った”感覚があった。 そしてその瞬間、俺の核のすぐ目の前に、漆黒の魔方陣が浮かび上がる。 「おお……!」 空気が張り詰める。魔力の奔流が発生し、周囲の岩盤がわずかに振動する。 やがて魔
画面の奥には、俺の“ダンジョン”の全体図が浮かび上がっていた。 その地図を眺めながら、俺は腕――いや、正確には核だから腕はないけど――まぁそういう感じで考え込む。 やるなら、徹底的にやってやろうじゃねぇか。「まずは階層を増やす。これだけ侵入者が増えてるなら、ワンフロアで収まるわけがないしな」 そう呟きながら、構築開始。 今ある空間の下層に、新たな階層を次々と追加していく。 しかも、ただの迷路じゃ芸がない。 ニ層目は錯視を利用した視覚トラップ中心の構造。
……眩しい。 まぶたの裏に差し込んできた柔らかな光に、ゆっくりと意識が引き戻されていく。 なんだろう、この感覚……眠っていた? 俺が? まるで数日間、何もかもを忘れて眠っていたかのような――。「……ぐぅ、すぅ……むにゃ……」 ふと耳に届いた微かな寝息に目を開けると、視界の端に見慣れた金色の髪が映った。 空間の片隅。石造りの壁際に座り込んでいるのは、我が眷属・レイラだった。 相変わらずの無表情……って、寝てる!? 驚きつつも、その寝顔が
ダンジョンの最深部――俺、ヴァルト・ノクスの“核”が鎮座するこの空間は、相変わらず静かだ。 目の前に立つのは、相変わらず無表情で毒舌な美女、眷属のレイラ。 静寂を破ったのは、そんな彼女の淡々とした一言だった。「……それにしても、あの冒険者、思った以上に弱かったですね。反応も遅いし、攻撃も単調で」 いやいや、普通に強かったと思うんだけど? 俺の罠とゴブリンくんたちなんか“秒殺”されてたぞ。 「弱くはないと思うんだけどなぁ。ほら、召喚したゴブリンくんたち瞬殺されちゃったし」